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九州本島は筑紫島と呼ばれていた

古代では、九州本島は筑紫島と呼ばれていた。はじめは筑紫国・豊国・肥国・熊曾国と呼ばれる古代勢力が存在していたが、その後ヤマト政権に下り律令制を取り入れるにあたって西海道の一部となり、筑紫は筑前国・筑後国、豊国は豊前国・豊後国、肥国は肥前国・肥後国に分割され日向国の7国と島嶼部の壱岐国・対馬国の2国が成立。824年以後は大隅国・薩摩国を加えた本土9国島嶼部2国となった。また、現在の太宰府市には対外的な窓口と大陸からの防衛任務を兼ね、西海道の統轄として大宰府が設置された。
中世には、博多が中世都市として栄える。摂津国の渡辺氏の分流の松浦氏の一族や、藤原純友の乱において勲功のあった大蔵春実、橘公頼などの子孫が土着し、在地の豪族となる。
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平家の勢力圏であり、九州の武家は平家方に属したが、源平合戦の趨勢から菊池氏や松浦氏をはじめ諸氏は源氏方に寝返り、鎌倉幕府の鎮西御家人となり地頭に補任される。

しかし、九州の武家は親平家方であったため、源頼朝は「戦後処理」として、九州の在地武家を抑えこむため、新しく東国御家人の少弐氏や島津氏、大友氏を守護として九州に送り、これらの「下り衆」が勢力を強め、菊池氏や松浦氏、秋月氏などの在地の武家を抑え、その後の九州の武家の中枢となる。

鎌倉時代には2度に渡る元寇があり、少弐氏など北九州の武士を中心に撃退した後に鎮西探題が設置される。

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2009年07月02日 02:21に投稿されたエントリーのページです。

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